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震災をとおしてみえるもの。

昨日の昼過ぎに近所のスーパーにお買いものに行ったら、お米もトイレットペーパーもいつもと同じくらい(もうちょっと多いかも)積んでありました。

「おひとり様1つまででお願いします」

と、貼り紙はしてありますが、周囲に人だかりはまったくなし。

お客さんもけっこう来ているのに、あわてて買い占め!みたいな行動を取ってる人は皆無でした。

「あー、やっぱり念のための貼り紙はしているのね~。ま、うちはまだ買うことないからいいわね」

という雰囲気。

そうだよねー!そうでなくっちゃ!と、自分の地元がちょっと誇らしくなった瞬間。

ついでにカップ麺の棚も見に行ったけど、数カ所の棚が空になってはいるものの、カップ麺はたくさん並んでおり、棚の前に立つ人もいませんでした。
空になった棚には、「地震の影響で納品に支障が出ています」という内容の貼り紙がありました。
ま、そりゃそうでしょう、と納得。

空になった棚に動揺する人もいないし、山積みのお米をコレ幸いとばかりに買い占める輩もいない、冷静な地元でよかったです。

これがとなりの市だとまたちょっと違うらしく、会社の同僚が、
「うちのお米、あと2カップぐらいしかないんだけど、どこに行ってもお米ないんだよね~。買い占めとかじゃなくて、お米欲しいんだけどな~」
とぼやいていました。
翌日お米は見つけたものの、目の前で10キロの米袋4つ抱えて買っていった人がいたらしく、レジの店員さんと呆れていたそうです。

買い占めしてる人って、とにかく自分だけが買えればいい!って人だから、周囲の冷たい視線とか、わかんないんでしょうね~。

10キロの米袋4つって……

食べ盛りの男子高校生が10人うちにいます!とか、被災した親戚をうちで何人もあずかってます!とか、そういう理由のある人だと思いたいですけどね~。
ただ買って安心してるだけっていうんだったら説教ですよ。

被災した親戚といえば……

ダンナちゃんのいとこが今回被災しておりまして。

といっても津波ではなくて、原発のほうです。

自宅も職場も第一原発から半径10km圏内で、退避命令の出ていた地域。

とりあえず、知人の親戚宅に身を寄せているとのことだったのですが、なかなか退避命令が解除にならず、問題の原発もあのような状態なので、先日、北海道の実家に帰ってきました。

――ひとりではなく、ふたりで。

カンのいい方ならおわかりでしょうが、いとこは、彼女を連れて帰ってきたのでした(笑)
「知人の親戚宅」というのも、どうやら彼女の実家だったようです。
それもいとこは彼女を連れて帰ると言うことを事前に言わず、いきなり連れてきたんだとか。
ま、年齢的にはもう結婚しててもおかしくない年ですから、別に問題はないのですけれど。
いとこも彼女も、無事で何より、といったところです。

さて。

前の記事で、「心に残るつぶやき」のサイトを紹介しましたが、そこにあったつぶやきのひとつが、これ。

ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」と返事が。
彼らはタフだ。肉体も、精神も。

私の地元は自衛隊の基地が3つもあり、子ども時代を過ごしたとなりの市にも基地が3つあって、自衛隊というのはとても身近な存在です。
友だちにも自衛隊員はいるし、友だちのご主人が自衛隊員、なんてこともざらです。
地元の街は自衛隊と共にあるといっても過言ではなく、今回、地震の直後に、隊員に待機命令が出たときには、その日予約の入っていた送別会がすべてキャンセルになったので、街の飲食業が大打撃……という記事が地元新聞にも出たほどです。
地震の2日後には、高校時代の友人が所属する音楽隊の演奏会が札幌で予定されていたのですが、それも中止になりました。
そして、ついに、友だちのご主人も、被災地への派遣が決まりました。

友だちに、「大変だね」というと、友だちは「うーん……本当は、行く立場ではなかったんだけどね……」とのこと。
なんとなく様子がおかしいので、事情を聞きました。

友だちのご主人は航空自衛隊で、整備関係を担当しています。
それも、アメリカなどで研修を受けて資格を取ったりしている、いわば整備責任者というような立場。
この責任者が最終チェックをして、OKの出た飛行機しか飛ばすことが出来ないという、重要な立場で、会社でいうならけっこう上のポスト。管理職です。
現在、整備チームにはこの有資格者が3人いますが、うちひとりは違う部署に派遣されていて、今は2人で交代勤務。
つまり、どちらかひとりがいなくなると、残された方はずっと待機していなければいけないことになるんです。
だって、有事の際にいざ飛行機飛ばす!ってなったのに最終チェックできる人がいなくて飛ばせません!って言えないですからね~。
しかも自衛隊ですから当然夜勤もあるわけで、「ずっと待機」=「24時間ぶっ通し」という過酷な勤務になっちゃうのです。

なので本来であれば待機組のはずだったのですが、なぜ被災地に行くことになったかと言えば……

「同じ隊にいる若手隊員が『行きたくない』ってワガママ言ってるから」

なのだそうです(泣

その隊員はまず、「たまっている有休を消化できないから夜勤はやりたくない」と主張し、夜勤の回数を減らしてもらいました。
回数が減った分は誰かが代わりに入ることになるわけですが、実はその負担をかぶったのも友だちのご主人。

そして今回、被災地派遣を打診されたその若手隊員は、

「自分は新婚で、まだ結婚特別休暇が残っているし、新婚だから家のこともしなくちゃならないから行けない」

と断ったのだそうです……。

もうね、呆れて声も出ませんでした。
だって自衛隊ですよ?! こういう緊急時のために普段から訓練してるんでしょ?! と私なんかは怒り心頭。
だいたい上司の命令を「有休が……」なんて理由で拒否する軍隊ってありえないでしょ!! 国家公務員だろ!!

実はこの若手隊員の「奥さん」、私の知人でもあるんです。
そしてさらに悪いことに、整備責任者の妻である友だちと、この若手隊員の奥さんも、以前から面識があるのです~。とほほ。

どう考えても納得できない話ですが、この若手隊員の妻はどう考えているのかと探りを入れてみたところ、

私「ご主人は被災地派遣決まったの?」
妻「うーん、まだなんだ」
私「あ、そうなんだ。他の人はけっこう決まってるみたいだよね」
妻「うん、なんか彼の場合は担当業務の順番があって、それがけっこうあとのほうだったから、派遣の順番も後ろらしいんだ」
私「ふーん……」

どうやら若手隊員は、奥さんには本当のことを言ってないようです。ま、言えないだろうけどね。
それだけならまだしも(というか、もうすでにアウトなんだけど)、震災発生直後の週末、友だちのお宅では急遽派遣が決まったご主人の支度で忙しかったというのに、知人宅ではのんびりテレビを見て過ごしていたようで、さらにまずいことに、知人はそれを友だちに言ったんですね~。
「彼が自宅待機だったから、土日はゆっくり過ごせた」と。
友だちはあとで「もうねぇ、話す気力もなくなったよ」と私に言いました。

ちなみに私と若手隊員の妻の会話には続きがありまして。

私「そういえばご主人の実家は福島だったよね?」
妻「うん。両親は無事なんだけど、親戚の家は二階が崩れて大変だから、彼の実家に避難してるって。だから災害派遣で行くんだったら福島がいいと思って」
私「なんで?」
妻「福島だったら、作業の合間に実家の様子も見てこられるでしょ?両親にも会えれば安心すると思うの」
私「……」

いやー、この夫にしてこの妻あり。
本人を目の前にして思わず絶句してしまったのでした。

そうかと思えば、「自衛隊なめんなよ」と男気ある言葉を口にする隊員もいるわけで……

こういう非常時こそ、そのひとの本当の価値というか、品格が見えるものなんだなぁとつくづく感じたのでした。

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あの日から一週間。

1ヶ月ぶりのblog更新となりましたが・・・

まず。

東日本大震災で、亡くなられた方。
大切な人を亡くされた方。

家を失われた方。

被災者のみなさまに、心からお見舞い申し上げます。

あの日の14時46分、金曜日。
震源地から遠く離れた北海道、閉店間近の支店の中で、お客様も職員もみな、大きな揺れに怯えていました。
つり下げポスターが右に左に大きく揺れて、古い建物が不気味にきしみ、お客様はロビーの椅子につかまっていました。

私はたまたまキャビネット横に立っていたのですが、あまりにぐらぐら揺れるので、具合が悪くなるほどでした。

そのときの震度は4。

同僚があとで「キャスター付きの椅子に座ってたんだけど、床の上を勝手に動いてすごく怖かった」と言っていましたが、それでも震度4だったのです。

震度7なんて地震は、想像することもできません。

そして、そのあとに襲ってきた津波の恐怖も。

こちらは最初の地震の後、2度ほど大きく揺れましたが、そのあとはおさまっていたので、いつも通り仕事をして、いつも通り保育所にお迎えに行きました。
保育所内もそれほど混乱しておらず、ただ、子どもたちがいつもかぶらない体育帽をかぶっていたのと、廊下に子どもたちの外靴がカゴに入れて置かれていたことが、いつもと違うくらい。
子どもたちも落ち着いていたので、あまり重大な地震とは思っていなかったのですが、帰宅してテレビを見て愕然。

まるで、気味の悪い生き物のように、津波が、街も、家も、車も、いちどに飲み込んでいく映像は、もう、悪夢のようでした。
どうしてこんなことになったんだろうと思いました。

そして、1週間。

今、いちばん感じることは、被災者の人々がほんとうに強く、くじけずに、日々を生きていることに対する敬意です。

震災が起きた直後にも思ったことだけど、日本人ってほんとにすばらしいと思うのは、こんな状況の中でも暴動を起こしたりすることなく、みんなで協力し合って、手を取り合って乗りこえようとしていること。
地震の後で空港での足止めを余儀なくされた人たちが、空港職員から緊急時セット(食べものとか飲み物とか)の箱を受け取るのに、ちゃんと一列に並んで順番を待ち、受けとった人の中には、空港職員に「ありがとう」と頭を下げてる人までいたのを見て、日本人だということを誇らしく思いました。

無縁社会だとかいろいろ言われていたけれど、まだ、大丈夫じゃん、日本!と思いました。

惑さんのブログでとてもすてきなサイトのことを知りました。prayforjapan.jp 地震発生後、インターネットに投稿された心温まるつぶやき

これを見たら、やっぱり、日本人っていいな、好きだな、自分も日本人でよかったなって本当に思いました。

私はおかげさまで大した被害も受けず、あの日を堺に生活が変わるようなこともなく暮らしていますが、それがどんなに幸せなことなのかというのは、避難所生活をしている小学生らしき女の子の言葉で気づかされました。

「家族にもまだ会えていないし、ごはんもちゃんと食べられなくておなかが空いてる。
今まで、家があって、家族がいて、ごはんも食べられて、ゲームして遊んでた生活が、どれだけ幸せだったのかってことが、こうなってみてよくわかった」

当たり前のことが当たり前になされているのは、とても恵まれたことなのだ、と本当に思い知らされました。
その女の子が、その後ご家族と再会できたのかはわかりませんが、どうか再会できていますように。

とにかく、自分に出来ることは何か?と考えました。

そして、まずは、募金と節電を始めようと考えました。
すぐ実行できることだから、もう始めてます。
会社で使っている足もとヒーターも、温度を下げて、半日だけ使うようにしたりとか。
北海道の電力は、東北に送ってもまだ余裕があるから大丈夫、と北海道電力は言っているけれど、もし節電することでたくさん余って、そのぶん東北にたくさん電力が送れるならそうしてほしいと思うし。

募金のほうも、今までしてきた募金の中ではいちばん高額(笑)
少なくとも、粉ミルク一缶買えるし、余った分でお水も買えるぐらいの金額は入れました。
仕事柄、いつでも募金の振り込みができるところにいるので、お給料が出たらまた追加で募金しようかと計画中。

早く、被災地に、不安よりも希望が大きいと思える日がやってくるようにと、心から祈っています。

みんなおなじ、日本のなかま。みんなでいっしょに、立ち上がりましょう。

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